仏教の教えに「顔施」という教えがあります。困っている人がいて自分に何も施すものがないときは微笑んであげなさい、ということかと思います。日本人にとって「微笑み」ということは身近なような気がします。
さて、微笑みに似ているのが「愛想笑い」です。微笑みとの違いは目的をもって微笑むということです。例えばお願い事をする、あるいは謝らなければならないなどです。愛想笑いというものはあまりしたいものではありませんが、人間が生きていく上で、生きていく手段として必要なものでしょう。でもこの二つは似ているようですが不思議とその違いはよく分かりますね。私もいまだに意識的・無意識的に愛想笑いをすることがあります。最近はそれに自分が気付いたとき、あまり良い気持ちではありませんが、「しようがない」と自分を責めず、気持ちを切り替えるようにしています。
実は、今回お話したいのは発達的に見ていつごろから愛想笑いをするのか、あるいはそれを理解できるようになるのか、ということです。発達心理学をベースに考えたとき、自分のためや人のために「嘘をつく」ことができるようになるのは、3才代くらいからと考えます。例えば、箱の中のおもちゃをこっそり見たのに見ていないと言ったり、人からプレゼントをもらったとき全然ほしいものではなかったとしても嬉しそうにしたりするということです。これを発達心理学の用語では「情動表出の操作」と言います。ただ、3才・4才くらいの時期では嘘をついたとしても自分でそれを説明できるほど深く理解できているわけではなく、大人がしているのを自然と身に付けたと考えられます。そして愛想笑いもこの「情動表出の操作」の一つと考えられます。人間の高度なコミュニケーションのための重要な能力である「人の気持ちを感じ取る」、そしてその能力を基にその場の状況に応じてあるいは相手に応じて適切と思われる行動をとることができるのは3才代・4才代からだと考えられます。2才代・3才代で発語がない・発語が少ない、多動で落ち着きがない、友だちと遊べないなどのコミュニケーションや対人関係の発達の不安を考えるとき、知的な発達の遅れがある場合は別として、3才代・4才代までに発達する「人の気持ちを感じ取る能力」や「情動表出の操作」「自分と人は違うという理解」、自分で自分の行動をコントロールする力である「自律性」などの能力が十分発達しているかを分析します。障害以外から原因を考えるというのは、そういうことを指します。