この夏、縁があってバンコクのスラム街の孤児院を訪問したとき、そこで小さい子どもさんたちと日本の手遊び歌を歌って楽しく過ごしたことと、もう一つ心に留まったことがありました。
大きい部屋から出てお別れをしようとしたとき、3才くらいの女のお子さんが私のところに来てハグをしてくれました。しかし、それは遠慮気味に軽いものでした。その女のお子さんはハグをしてほしかったのでしょうね。その時、一瞬の判断で私も軽いハグを返しました。
孤児院からの帰り道、あの女のお子さんにしっかりとハグを返してあげた方が良かったかな?と、考えていました。自分がしっかりハグをしてあげていたら、今は小さくて大きくなって忘れてしまうかもしれないけれど、無意識にでも大人のぬくもり、温かさを感じてくれて、それが少しでも生きるエネルギーになってくれたかもしれないとも思いました。
私も一つの経験がずっと心の中に残るという経験をしていますので、ひょっとしたらそういうこともあるかもしれない。しかし、年令も小さいし人一人との経験は残る可能性もあるけれど、そうそうあることではない。だとしたら、しっかりとハグをしてあげなかったことをくよくよ考えるのは自己満足かな、とも考えました。
しかし、しばらくして、もし自分のあとに一人でも二人でも五人でも十人でも、あの女のお子さんにしっかりとハグをしてあげたら、これから生きていく上でのエネルギーになったかもしれない、と考えました。しかし、スラム街の孤児院という厳しい環境でそういうことがこれからあり得るだろうか?
その時、人を育てることは、つまり教育は人の思いを信じることかもしれないと思いました。たくさんの人がしっかりこれからもハグしてくれるかもしれない。それを信じるためには、自分もしっかりハグをしてあげれば良かったかなと自戒をしているところです。